今回は陸上自衛隊兵器解説シリーズ61式戦車。
初の国産戦車を元自衛隊幹部の方に調べていただきました。
61式戦車は昭和の映画スター、銀幕スターとも呼ばれていますが
どんな作品に出演していたのか?
国民の反応も見てみましょう!
初の国産61式戦車

第二次世界大戦後、日本で初めて開発・製造された国産戦車です。
1961年に採用されたので、61式戦車(ロクヒトシキセンシャ)と呼ばれています。
独特な形をした小柄な車体が特徴です。
第1世代主力戦車に分類されます。
開発・製造は、61式戦車から三菱重工が担当しています。
開発・製造は、74式戦車・90式戦車・10式戦車も同様に三菱重工が実施しています。
三菱重工は、戦前に97式中戦車のエンジンを開発・製造をしていた実績があります。
61式戦車は560両が生産され、2000年に全て退役しました。
約20年前に引退されてたんですね!
60年もの間お疲れ様でした。
この戦車の開発経緯は、アメリカから供与された戦車が老朽化し、最新のアメリカ製戦車が入って来なかったからです。
日本に戦後入って来た戦車は、M4A3E8シャーマン中戦車およびM24チャフィー軽戦車でした。


上記のアメリカ製戦車は非常に優れた戦車でした。
しかし、これらの戦車は大戦中に開発され、すでに旧式化していました。
アメリカ軍では戦後に開発されたM46パットン戦車などが主力となってきていました。
もうひとつの開発理由は、陸上自衛隊の一部幹部(旧陸軍将校)と
旧陸軍の戦車製造や開発に携わった三菱重工業などの要望により、戦後一度途絶えてしまった戦車の開発技術を復活させるためです。
内部部局を説得しながら、エンジン等の研究も同時に進めていきました。
この様な経緯から戦後初の戦車は開発されました。
その努力の結果、1955年に国産戦車の新規開発が決定しました。
三菱重工業の技術力の高さをサイトに書き込む海外の方が沢山います。
凛は最近まで戦車を三菱が製造しているなんて知りませんでした。
戦車砲弾の製造元がエアコンメーカーのダイキンというのも最近知りました。

戦後、戦車の開発は、朝鮮戦争により米軍の戦車を修理等したことも技術力向上に貢献しました。
因みにガンダムの61式戦車は、陸上自衛隊のこの戦車から来ています。
61式戦車で調べるとガンダムの戦車が沢山出てきます。
むしろ、多くの情報がガンダムの61式戦車でした。
61式戦車の特徴

- 主砲には、52口径90mmライフル砲×1、
- 砲塔上部に12.7mm重機関銃×1、
- 主砲同軸に7.62mm機関銃×1
を装備しました。
主砲使用弾は、
- 榴弾
- 曳光対戦車榴弾
- 曳光高速徹甲弾
- 曳光被帽徹甲弾
- 発煙弾
などがありました。
曳光弾とは発光体を内蔵した特殊な弾丸です。
光ったことでどこに飛んでいったかわかるようになっています。
別名トレーサー。
現在、戦車の輸送は、車両輸送が主要な方法です。
しかし、当時の主要な輸送手段は鉄道でした。
その為に鉄道輸送を考慮して国鉄貨車に搭載できるサイズに車体がなっています。
軽量な戦車を開発したもうひとつの理由は、アメリカやロシアの様に広大な平地を持たず、山がちで起伏や水田地帯が多い日本では、M24チャーフィー軽戦車重量18tのような軽量な戦車でないと運用が困難だったからです。
10式戦車の重量は44t。
同じ第3.5世代主力戦車のドイツ レオパルドⅡは59.7tなので15.7t軽い!
防御力は、正面装甲が仮想敵国ソ連の主力戦車T-34戦車の85mm弾に耐えられる装甲を目標としました。
それを目的としたにもかかわらず、正面装甲の耐久試験では、
40ミリ機関砲による攻撃を防御出来る程度しかありませんでした。
世代的には1世代遅れて登場したとも言えます。


その為にパンターやティーガー以下の戦車を作ったとすら言われます。
しかし、戦前・戦中の戦車を考えるとパンターやティーガー並みの戦車を
作っただけでも大進歩だと思います。
歩兵支援戦車しかなかった日本が対戦車戦闘をできる戦車を開発した事が一番の成果です。
61式戦車ヨルダンへ行く

日本製戦車として初めて訓練以外で海を渡りました。
日本製戦車初の海外派遣となりました。
派遣先は、中東に位置するヨルダン王国の王立戦車博物館です。
何故日本製戦車が海を渡ったのでしょうか?
2018年、外務大臣がヨルダンを訪問し、同国国王に拝謁した際に、日本の古い戦車を供与してほしいとの要請があったそうです。
日本は今まで、展示用も含め戦車を輸出したことは、ありませんでした。
しかし、外交上のメリットもあり、貸与という形でヨルダンへと渡り展示されました。
主砲砲口を埋め、エンジンも取り外している為に射撃する事も動くこともできません。
しかし、展示様に綺麗に再塗装しました。
国王をはじめ、親日家の多くいる国です。
同国の若者を中心に日本文化への関心が高いといわれています。
この61式戦車は、現在もヨルダンで広報任務についています。
昭和の映画スター61式戦車

61式戦車といえば映画スター。
どんな映画に出演していたのでしょうか。
国民の声を聞いてみましょう!
「ウルトラマンで空飛んでたなぁ」
「ゴジラや宇宙怪獣と戦った61式戦車か」
「戦国自衛隊、僕らの七日間戦争の戦車か。宮沢りえ可愛かったなー。」
「ロマンがいっぱいあっていいよね!戦後初にしては十分!いい戦車!」
他にも有名どころのアニメや漫画では
- 悪魔くん
- 鉄腕アトム
- バビル2世
- マカロニほうれん荘
などに出演しています。
「実戦経験なく、怪獣退治の出動だけで済んだのはよかった!」
という声があります。
全ての戦車がそうだと良いですよね。
口コミ

同車は後に、やはり角川映画『ぼくらの七日間戦争』で、『エレーナ(劇中での愛称)』として再登場した後、民間に買い取られて余生を送っている。
尚、『ぼくらの七日間戦争』では、砲弾ならぬ花火を連発で砲身から打ち上げ、同作のフィナーレを飾った。
なので、大量の爆弾を投下された(泣)
戦後、裾野の駐屯地で戦車に搭乗する機会を得て上半身を乗り出して乗ってみたが、 鋳物かと思えるほど身体への当たりが柔らかく、とても感心した記憶があります。
隊長お疲れ様です
戦国自衛隊大好きでした~
戦国時代好きと自衛隊好きには堪らない作品でした
千葉真一カッコ良かったなぁ~
あっ歳バレる(笑)
名前がカッコいい!
まとめ
61式戦車には、構造的欠点か多々ありました。
しかし、61式戦車の開発・製造によって国産戦車の開発・製造技術が大幅に向上した事も事実です。
この戦車開発なくして、今日の日本の戦車開発は、ありませんでした。
61式戦車で戦車技術を習得し、
74式戦車で世界の戦車水準に追い付き、
90式戦車で一流の世界大国の仲間入りを果たし、
10式戦車で世界最強レベルまで到達しました。
この結果をみれば開発は大成功でした。
「61式はなんとも戦車の形をした戦車だのう。」
同じく丸い砲塔の74式戦車が好きな人は61式も好きなんでしょうか?
コメント欄に感想、自衛官への応援、是非よろしくお願いします。


凛護隊のTシャツ、パーカーを自分で買いました。
2月5日に到着予定なので、また感想お伝えします。
これを着ていつか自衛隊駐屯地に遊びに行きます。
楽しみです。
今は寒いから、パーカーが欲しい!

チャンネル登録4万人ありがとうございます!
凛護隊最高です!